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愛せない悲しみは愛する力:息子とのこと(2015.2.22.主日礼拝説教より)

 最後に、次男の暁生とのことをお話しさせて下さい。暁生は、今は私ども夫婦の息子というより、惠泉塾という神の家族の子供という感じがします。神の子ですね。きっと当人も、両親と一緒の惠泉荘の食卓よりも、「祈りの家」の食卓の方がずっとアット・ホームでしょう。
 
 一度お証したことですが、暁生と家内が初めて余市に来たのは、2003年でした。私は東京の教会で牧師をしていました。暁生は、東京の病院で統合失調症という診断を受けていましたが、当人も親もそうは考えたくありませんでした。桑園病院のM先生の診察を受け、「私も同じ診断です」と言われた時の暁生の心を想います。それから畑で倒れているような、私がまったく知らない長い戦いの生活を経て、彼はイエス様を信じて、洗礼を受け、病とともにありながら、次第に癒されて行きました。
 
 最初の年、2003年10月に家内が1ヵ月、暁生とともに余市で生活しました。余市生活を終えて、東京に帰る直前に家内からメールがありました。そのメールは私の心の傷をえぐりました。内容はもう覚えていません。ただ「家内」という家の内にいるはずの存在が、家の外の砦から矢を放って来たという感じでした。思いがけずにというのではなく、ずっと恐れていたようにです。
 
 私は暁生が最も辛い時も、その他の時も一緒にいてあげることができませんでした。「お父さんは、神様のことをしているのだから、家族は理解しなければならない」というおごった気持ちもありました。祭司やレビ人のような宮仕え牧師です。その息子や家内は遠い地にいて、そこの指導者と共に私に向かって立って、牧師の私を批判的に見つめているように感じました。私は心を閉ざしました。新しくなった、私の知らない家内や息子に会うのが恐かったのです。
 
 帰って来た2人が教会堂の2階の牧師館のドアを開けた時、暁生は開口一番、「お父さん、話があるんだけれど」と言いました。まるで「父のところに行ってこう言おう」とあらあじめ用意していたように。私は、かろうじて「お父さんに何をして欲しい」と応えました。それは「財産の分け前を下さい」という話ではありませんでした。「祈って欲しい。それもただ祈るだけではなく、僕の肩に手を置いて祈って欲しい」ということでした。私は息子の肩に手を置いて祈りました。息子も私の肩に手を置いて祈りました。それからしばらく日曜日の礼拝でのご奉仕のために1階への階段を降りる前に、暁生は私の肩に手を置いて祈ってくれました。
 
 「お父さんに何をして欲しい」——それは父親として当然の言葉だと思われるかもしれません。しかし、私にとっては、その一言までの道のりは長かったと言わなければなりません。恐らく、家内からの辛いメールに心が傷ついていなければ、私はその一言を言えなかったでしょう。互いの肩に手を置く祈りは長く続いたわけではありません。人生にはそういう濃密な時があります。幼子のように貧しい者を通して、神様の命が流れて来ました。傷つき貧しくされた祭司やレビ人のような父親が、うろたえながらその命を受け取りました。今からもう12年前のことです。私は生きていたとしても、もう10年先のことを想うことはできない年齢になりました。それは今の私の初心と言うべきものかもしれません。
 
 私たちキリスト者は、人を差別することに対して「ノー」と言います。しかし、それは私たちが差別しない人間だからではありません。 私たちキリスト者は、戦争に対して「ノー」と言います。しかし、それは私たちが暴力や攻撃性を持たない人間だからではありません。私たちは、常に他者の痛みに敏感な人間でもありません。しかし、御子の血潮と、聖霊の執り成しによって、そういう自分を悲しんで生きます。その悲しみのあるところに、貧しくされた現代のサマリア人がおります。人を愛せない私たちの悲しみが、小さなキリストである私たちの隣人へのはらわたの痛みになります。愛せない悲しみは愛する力です。愛せない悲しみが愛する力になる、と言うべきかもしれません。神様がその悲しみを愛の泉の湧く所にして下さるのです。永遠の命というのは、今すでに私たちの間に働いている、そういう力であり、愛であり、慎みです。それは来るべき世の命ですが、キリストを信じ、隣人を隣人として愛する時に、今ここでいただけるものです。それが神の国の力であり、愛であり、慎みです。
 
 絶えず赦しと和解の福音に回心しましょう。絶えず十字架のキリストを仰ぎ見ましょう。絶えずアバ父の憐れみの御国に向かって歩みましょう。絶えず聖霊によって新しく造られましょう。それが私たちクリスチャンの日々のビジョンであり、この時代を悲しみつつ貧しさに生きる、喜びと豊かな命のビジョンであります。
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プロフィール

百姓とんちゃん

Author:百姓とんちゃん
牧師生活を経て、北の大地の信仰共同体で農耕生活の見習いをして後、千葉県で四街道惠泉塾を営んでいます。

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