【ご案内】出版記念講演「新スカルの井戸端会議」(9月23日〈土・祝日〉)

 だれかさんに見つけていただかなくとも、もう小さくはない秋がそちこちに見られます。夏の疲れが出る頃ですが、お変わりありませんか。今週の土曜日に東京でもたれる集会でお話ししますので、ご案内させていただきます。

 「新スカルの井戸端会議」というのは、かつて惠泉塾が多くの人々の注目を集め始めた頃、水谷惠信(当時)先生を講師に、上野の教会を会場に行われていた同名の集会を新しく引き継ぎ、これから毎月行われるものです。今回は第1回(8月11日)のみ水谷先生が担当され、これからは基本的に関東地区で小さな惠泉塾を運営する私を含む3名の塾頭が講話をします。因みに私ども夫婦が次男の病をきっかけに惠泉塾につながるようになったきっかけは、2003年の「スカルの井戸端会議」でした。

 9月の「新スカルの井戸端会議」は、出版記念講演のかたちで行われます。4月に出版された『しあわせな看取り』— 果樹園の丘の訪問看護ステーションから(いのちのことば社)の著者岸本みくにさんが「余市から始まった神様の訪問看護ステーション」という題で証言をして下さいます。どうか YouTube で CGNTV に収録された彼女のインタビューをご覧下さい(www.youtube.com/watch?v=pB9L-cUjlrk)。終末ケアを専門とする、敬愛する現役ヴェテラン・ナースの信仰と生き方がひとつに結ばれた証言を、高齢化社会を生きるすべての方に聴いて欲しいと私は願っています。当日は集会の一部に質疑応答の時間も設けられていますから、岸本さんから介護や看護の実際的な知識や知恵をも分かち合っていただけます。昨春一緒に余市から派遣されて来た岸本みくにさんと共にご奉仕できることを感謝します。

 私の講話も5月に出た『神の秘められた計画』福音の再考—途上での省察と証言(いのちのことば社)を記念して、本のタイトルを主題としますが、「生活共同体に生きて」という副題にあるように、神学や聖書解釈の話というよりも、どのように惠泉塾に導かれたのか、そこでの生活から何を学んだのか、今この時代に生きるキリスト者として何を考えているのか、というような、本には書かなかった証しや思いを、私たちの生き方のこととして語らせていただきます。

 個人的なことを申し上げれば、2011年に夫婦で余市に移住してから、このようなかたちで、東京でお話しするのは、私にとって初めての機会となります。懐かしい方々とお目にかかり、今の私の声で皆さんにお話しすることは、やはり感慨深いものがあります。CGNTV の私のインタビュー番組もご覧いただければ幸いです(www.youtube.com/watch?v=ShBWBf71eFg)。

 
 期日や会場等について、下に記します(基本的に申し込み制になっています)。

 期 日:2017年9月23日(土・祝日)10:00〜14:00
 会 場:在日本韓国YMCAアジア青少年センター
     TEL. 03-3233-0611 東京都千代田区猿楽町2-5-5(JR水道橋駅から徒
     歩約5分、JR御茶ノ水駅から徒歩約8分、地下鉄神保町駅から徒歩約7分)
 申し込み:我孫子惠泉塾(TEL.04-7188-6833 FAX. 03-6800-5996、携帯
      090-8042-4044〈新谷〉、E-mail ibasho@me.com)

*お手数ですが、当日までに申し込みをよろしくお願いいたします。

 
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井上良雄著『待ちつつ急ぎつつ』(新教出版社)

 2012年の『大いなる招待』、『エデンからゴルゴダまで』から5年を経て、今年『キリスト者の標識』、『待ちつつ急ぎつつ』が刊行されて、井上良雄先生の遺稿を編んだ「キリスト教講話集」が新書判全4冊で完結しました。この殺伐として乾き切った時代に、このような瑞々しい信仰の言葉を贈り物のようにして届けて下さった関係者の皆さんの愛のご労苦に心から感謝いたします。

 今夏8月、最後に出された第Ⅳ集には、1965年から1995年の期間の講演、奨励、ラジオ放送、スピーチが時間順に収められています。書名『待ちつつ急ぎつつ』は、言うまでもなく名著『神の国の証人 ブルームハルト父子』(1982年)の副題であり、その御言葉が語られているⅡペトロ3:8〜13にもとづく「待ちつつ急ぎつつ」という1995年の信濃町教会婦人会の修養会での講話が最後に置かれています。編者の戒能信生先生の「あとがき」によれば、井上先生89歳のこの講話は、先生が公の場で語られた最後の講話で、その頃はお身体も不自由になられ、長時間の外出も制限されるような中で、ご自宅に近いナザレ修女会で行われたものとのことです。先生が召されたのは、2003年、96歳でしたが、最後まで1988年に終えたバルトの『教会教義学』「和解論」の翻訳に手を入れ続けられました。「待ちつつ急ぎつつ」という言葉を読むとき、私の瞼に浮かぶのは、何よりも井上先生の姿です。生き方や生き様といったようなものでもない、先生の姿です。「イエスは主なり」と告白して、ひたすら神の国に向かって生きておられる姿が目に浮かびます。いつも近くで見ていたわけではないのにいつも心に生きている先生の姿です。

 第Ⅳ集の最初に置かれた「高見順氏の死について」という短文は、説教集『汝ら時を知るゆえに』(1987年)に収められた「イエスの死と人間の死」とほぼ同じ内容のもので、最初に読んだときから今も私の心に刻まれています。岩波の『同時代ライブラリー」、高見順『闘病日記』に井上先生がお見舞いなさったときのことのことが記されています。感銘深いものでした。

 NHKラジオで語られた「私の理想とする人」ーシュザンヌ・ド・ヴィスムーを読めたことは、とても嬉しいことでした。資料で存在は知っていましたが、内容に触れるのは初めてでした。放送がなされた1970年という時代に私は学生でした。私が文章を通して井上先生を知った時代——それは私がほぼ教会を離れていた頃ですが——福音派は社会を語る信仰の言葉を持ちませんでした。そういう中で社会問題について書かれたキリスト者の文章を読んでも、どこかの政党の主張を読むようで、私には難解でよく理解できませんでした。そういう中で井上先生の書かれたものは、福音派の私にも素直に理解できたのです。理解できただけでなく、弱っていた私の信仰に新しい鼓動を与えてくれました。1970年というあの時代に、「私の理想とする人」として、憧れと感謝をもって、シュザンヌ夫人によって与えられた初めの愛を瑞々しい言葉で語る人、それが私にとっての井上良雄先生です。

 この講話集では、「受洗者・入会者・卒業生への言葉」(1967年)、「人生読本 虚無・死・ユーモア」(1967年)、井上先生の信仰を身近に感じられるパーソナルな言葉を読むことができます。また「戦争責任の問題」を1971年という時代と、沖縄セミナーという場に身を置く先生の証言として読むことができます。「今日のキリスト告白」(1974年)、「バルトの教会論」(1975年)、「K・バルトにおける教会と国家」(1975年)、「証人としてのキリスト者」(1986年)等の証言が、今日ますます重要なのは言うまでもありません。

 ただ今の私に最も考えさせられるのは、「神学校における人間形成」(1966年)という、ガラテヤ書とⅡペトロ書をテキストにした神学校の修養会における講話です。この文章は以前も『時の徴』誌に掲載されたのを読んだことがあり、心に残るものでした。

 井上先生は、教育学などで「人間形成」と言われる場合の「形成」という言葉の背後に、ドイツ語の「ビルドゥング」を読み取られます。ドイツ文学にはビルドゥングスロマンという小説の型があり——「教養小説」と訳されるその言葉は、むしろ「人間形成」と訳すべきだと書かれながら——そこに共通することは、「一人の主人公がその内的な必然性に促されて、自分を取り囲む様々な外的な状況と戦いながら、次第に自分の道を切り拓いて、自己を突破してゆく——そのような過程を描いた小説だ」と書いておられます。その一番の典型がゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』という小説で、その流れを汲む近代の小説として、トマス・マンの『魔の山』や、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』があるということです。そして、「そういうビルドゥングスロマンが典型的に示しているように、ビルドゥング、形成という概念は、自己実現ということを本質とする人間の文化的な生に関する概念だということができる」と書かれます。そこで井上先生は、パウロが「あなたがたの内にキリストのかたちができるまで、私はまたもやあなた方のために産みの苦しみをする」(ガラテヤ4:19)というようなキリスト者の人間形成が、私たちの文化的生において、いわゆる期待される人間像というようなものに向かって、営々として自己実現してゆく私たちの形成とは「何と違っていることでしょうか」と言われています。

 今の自分にとってこれが考えるべき大切なことに思えるのは、私にはドイツ文学者である小池辰雄先生が信仰における「突破」と言われるとき、そこに「内的な必然性に促されて、自分を取り囲む様々な外的な状況と戦いながら、次第に自分の道を切り拓いて、自己を突破してゆく」、ビルドゥングスロマン、ある種の理想主義を感じないではいられないからです。もちろん、小池先生の「無の神学」は、私たちが聖霊に己を貫かれて無とされることにおいて、そこに聖霊によってキリストが形成されることを目指すもので——その意味では、徹底した福音的な生に関わるもので——人間の自己実現を目指す文化的な生に関わる教育的な概念ではありません。しかし、私は小池先生の聖書理解や先生が言われる「突破」ということに、どうしても、ひとり生きる近代的自我が辿る理想主義の実存的な隘路を感じてしまうのです。しかしまた、いわゆる福音的思考がキリストのかたちがなるための産みの苦しみ(突破)を伴なわないとしたら、その福音は命のないものです。これは、「聖書の福音」と「召団の福音」に関わって、私には大切な課題です。

 「あとがき」によれば、井上先生の没後、書斎から見出された「説教・講演ノート」のタイトル数は、315件あるそうです。今回の「キリスト教講話集」に収められたのは、そのうちの43篇ということで、ごく一部ということになります。さらなる出版を期待する思いもありますが、私たちは、井上先生から十分な証言をいただいていると思います。今は私たちがキリストの証人として、言葉と行いとを生きなければなりません。大切な4冊の本を与えて下さった方々に、改めて感謝いたします。

 
 

朝デボノート:創世記6〜8章「ノアの洪水」

 四街道惠泉塾の朝のデボーションでは、今、詩編を学んでいます。2004年から2006年にかけて語られた水谷先生の講話を録音したCDで119篇まで来ました。1度の講話で1章を1節ずつ読みながら語られるのが原則ですが、119編はさすがにそういうわけにはいかず、「アルファベットの歌」の単位である8節ずつ読み進んでいます。私は、新共同訳と岩波の松田訳、それとミルトスのヘブライ語聖書対訳シリーズの新共同訳のインターリニアを傍らに置いています(私程度の語学力の者にとっては、これによってヘブル語の重要な語彙を新共同訳がどう解釈して訳しているか、あるいはどの言葉を省略しているかを知ることができます)。10月からはそこに新しい新改訳が加わるでしょう。新改訳の新しい詩篇の訳は本当に楽しみです。新共同訳はヘブル詩の並行法を著しく崩してでも、日本語としての明解さを求めています(時には省略が過ぎたり、言語の含蓄に対して明解すぎるほどですが)。声を出して朗読すれば、まっすぐに心に届く新共同訳の良さが分かります(聖書は、ただ目で読むだけのものではなく、声に息を吹き込まれ、吹き込んで、実存を傾けた言葉の律動をもって語るものであり、テキストの意味に込められたメッセージは——その時、その所において——ただより厳密な翻訳を正しく説明することによって伝えられるものではありません)。原文の構造が透けて見えることを目指す新改訳の日本語は、どうしてももたつきがちで、説教者の言葉も説明に傾きがちではないでしょうか。それでも新改訳に親しみ、新改訳を愛する私は、新しい新改訳に、より原文に即した翻訳と、朗読して人の心に届く文体とを期待しています。

 日曜日の朝デボは、創世記を1章ずつ読みながら、教えられたことを分かち合っています。今はノアの洪水の箇所です。ノアの洪水の出来事は、絵本の世界でおぼえられ、説教で語るとしても、物語りつつ教訓をのべる仕方は、視覚的にほぼパターンナイズされている気がします。

 今回、改めて神の言葉としてノアの物語を読んで、最も印象深かったことは、洪水に関わる記述には、ノア自身の言葉は一言もないということでした。洪水がもたらした悲惨な光景の描写もまったくありません。聖書はただ、神が語られた言葉だけを記し、ノアについては「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」(6:22)、「ノアは、すべて主が命じられたとおりにした」(7:5)とだけ書きます。そのことは出来事が持つメッセージを際立たせます。

 聖書に書かれてある言葉は、神が語られた言葉(語っておられる言葉)、神の口から出た言葉(出ている言葉)です。私たちは、聖書を読むとき、ただ意味を「読み取る」だけでなく、「神の口から出る1つ1つの言葉」を「聴き取る」必要があります。聖書の文字を「読み取る」ことからは、人間の言葉が広がります。しかし、神の口から出る言葉を「聴き取る」ならば、人間はおしゃべりをやめ、ただ「主が命じられたとおりにする」だけです。

 今、神が地を御覧になって何を思われるでしょうか。「見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。・・・不法が地に満ちている」(6:11,13)というのは、この時代のことでもあることを思わされ、主イエス様の言葉が聴こえて来ました。

 「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱船に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気づかなかった。人の子が来る場合も、このようである。」(マタイ24:37〜39)

きょうはお百姓さんの真似事をしました。

 8月も終わりを迎えようとしています。残暑の日々をいかがお過ごしですか。私のきょうの午前は畑仕事でした。草引きばかりをしてはおられません。そろそろ秋に収穫する野菜を植える頃です。

 先日、じゃがいもの収穫を終えた畑の一角を家族のS君に最終的な草引きをしてもらい、数日して彼と2人でそこに鍬を入れて掘り起こし、畝を作っておきました。そろそろ秋に収穫する野菜を植える頃です。

 今朝はまず最寄りのマーケットに寄って、レタスや白菜の苗、ニンジンの種、そして虫除けのトンネルを作る支柱やネットを買って来ました。畑に着くと、まずは家内とよく繁ったサツマイモのつるを返す作業をしました。その隣りには落花生が植えられています。隅のネギの隣りの畝に、手伝いのYさんに鍬を入れてもらい、そこに家内がニンニクをばらして植えました。ニンンクはよく使うのですが、国産のものは1つ200円以上もして高価なので、自分で作ることにしました。収穫まで1年かかるのです。高いはずです。

 暑かったので家内は早めに帰り、それからYさんと私は、タマネギ、ニンジン、レタス、そして白菜を植え、白菜にはトンネルの防虫ネットをかけました。さらに幾つかの畝に大根の種を蒔いたところで、太陽がじりじりと照って来たので、きょうの作業はそこまでにしました。ほうれんそうや春菊の葉ものの種がありましたが、Yさんは明日の仕事があるので無理をさせることはできません。今週中には別の野菜の種も蒔き、またナスの根切りして、秋ナスが穫れるようにします。

 手慰みで土をいじりながらお百姓さんの真似事をしている者の寝言ですが、農業は割に合わないものだとつくずく思います。それなりに資材や肥料を買って、手間ひまかけて育てるのですが、スーパーで売られている値段があまりに安いのです。消費者は助かるでしょうが、家庭菜園に毛が、いや雑草が生えたような、お百姓さん見習いの立場からは、経済的には自分で作るよりも、買って食べた方が安いのです。1本に1つのトウモロコシを生えさせるように、他の実を落としたその1本がスーパーでは100円です。手をかけてよく育ったキャベツや白菜でも同じことです。それでも収穫には充実した喜びがあり、穫れた無農薬の野菜は美味しく、そして何よりも、種を植え、水をまいた者だけが知る、成長させて下さった方への感謝が味わえます(水も多くはその方がまいてくれるのですが)。

 昼食後は少し休んで、9月23日(土・祝日)午前10時、御茶ノ水(水道橋)の在日本韓国YMCAで行う新スカルの井戸端会議での話の準備をしました。『しあわせな看取り』(いのちのことば社)の著者、岸本みくに姉とのコンビで、出版記念講演として、「神の秘められた計画—生活共同体に生きて」というタイトルでお話しします。昼食後、質疑応答の時間もあります。どなたでもおいでいただけます。ぜひお出かけ下さい。他にも9月は、オリーブ山教会の礼拝式での証言、若者の集いでの愛餐と聖餐についての話、「波止場便り」の生活共同体の歴史(アーミッシュについて書くつもりです)の原稿締切、そして定例の長野県上田での集会と、お百姓さん見習いの私にとっては、まさに「ゴトウの勢い」といった感じです。

母が語り継ぐ伝承の言葉

 8月15日〜18日、岩手県奥州市に帰省して来ました。長男夫婦と住む母が101歳で健在です。介助がなければ身の回りのことはできず、歩くこともできません。直近の日々の記憶は定かではありませんから、私に会ったこともすぐ忘れるでしょう。しかし、医学的にはどこも悪いところはなく、話も普通にできます。とりわけ、昔のことは本当によく憶えています。

 着いた翌日、すぐ上の兄と母の希望をきいた上で、兄の運転する車で、母の生まれ故郷、盛岡に近い矢巾町に向かいました。母としては幼少時代から年頃までの思い出がつまったところで、今も育った場所に姪御さんが住んでおられる、このところの定番のコースです。

 東北自動車道を水沢インターから北上すると、1時間もしないうちに、左手、西の方角に母の目と心に懐かしい山々が見えて来ます。母は、高速道路のフェンスや防風の木々の合間に見える山並を指差して、「東根山」(あずまねさん)、「南昌山」(なんしょうざん)と繰り返し言います。それは母が小学校に通う道でいつも見ていた風景であり、遠足で登り、そこにまつわる昔話を聞かされて育った故郷の山々です。

 その南昌山の麓の煙山(けむやま)と呼ばれる地域の一角に植えられたひまわりを見てから、少し走ったところにある観光の看板に目がとまりました。そこには、あの宮澤賢治の宗教的な水彩画「日輪と山」を、南昌山を描いた鉛筆のスケッチと対照させて、南昌山こそが賢治がそこに描いている山であることを、盛岡中時代の同室の親友、矢巾村出身の藤原健次郎との交友とともに説明してありました。南昌山は「銀河鉄道の夜」の舞台であり、カンパネルラのモデルはその矢巾村出身の友であるというのです。この仮説は古いものではなく、松本隆著『童話 「銀河鉄道の夜」の舞台は矢巾・南昌山』(2010年)によるものらしいのですが、母の心の山々が宮澤賢治がこよなく愛した岩頸(がんけい)の山並であり、週末には矢巾村の藤原家(「高畑」とも母は言います)の友と、南昌山で水晶などの石を拾ったということを知り、急に銀河にロマンが広がる思いがしました。

 突然でしたが、母の実家の庭に車をとめて、呼び鈴を押すと、出て来た姪御さんが「おばちゃ〜ん」と助手席の母に抱きつきました。呼ばれて出て来られた90歳を超した隣家の老婦人が「おだっつぁ〜ん」(母はタツという名です)と駆け寄り、互いに顔をすり寄せている様子に胸がいっぱいになりました。

 その隣家の屋号は「スズハナ」と言うらしいのですが、その道端に「スズハナ水」という湧き水があります。豊かな泉ではないのですが、その地の多くの人の渇きを癒し、生活を潤して来た水です。母は何度も何度もその「スズハナ水」について、エンドレスのように同じ言葉を繰り返します。その言葉を、私はどれほど繰り返し聴いても飽きません。湧き水の場所の様子を思い出して語りながら、その地の人々が誰かが亡くなる際に「スズハナ水を飲ませたか」と言うのだということを語ります。その訛りのある発音、抑揚、息づかいが、本当に優しく麗しいのです。字では伝えることができませんが、母の語りはこうです。

 「『スズゥハナミズゥノマセダッテガァ?』(あるいは『スズゥハナミズゥノマセダガ?』)って言うんだっけもね。」

 最初の「ズゥ」の軽い訛りと、語尾の問いかけるような「ガァ」の抑揚が何とも言えずいいのです。家内は「悲しみと優しさといたわり」と言いましたが、確かにそういう息づかいです。それだけでなく、母の言葉に私は共同体の伝承を聴くのです。「 スズゥハナミズゥノマセダッテガァ?」という言葉は、きっとひとつの湧き水につながれた数えきれない村人たちが、「悲しみと優しさといたわり」を込めて、母と同じ息づかいで語り継いで来た、村落共同体で定式化された言葉なのです。その言葉の伝えるものが、幾多の人々が生きて死んだ歳月を重ねて、いかに人間的で豊かなことか。

 私は今、無教会的な伝統につながる定式化したリタージーを持たない群れに属していますがーー定式化した言葉の表現に信仰の形式化を見る伝統におりますがーー何度も同じ言葉を繰り返す母の息づかいに、信仰共同体において、リタージーが啓示する湧き出る命の水を想いました。
プロフィール

百姓とんちゃん

Author:百姓とんちゃん
牧師生活を経て、北の大地の信仰共同体で農耕生活の見習いをして後、千葉県で四街道惠泉塾を営んでいます。

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