FC2ブログ

【再掲載】「証 言」:天に召されたシーファー先生に感謝して(附・12月22日「新スカルの井戸端会議」の案内)

 12月12日夜、岩手県の郷里で、高校生の私をイエス・キリストに導いて下さった、クリフォード・シーファー先生が米国ニューヨーク州バッファローの病院で天に召されました。86歳であられました。11月30日、娘のデビさんのはからいで、緊急入院された病室の先生と国際電話で話しました。弱々しい声でしたが、しっかりしておられたので、クリスマスまでは退院して、家でお祝いできるものと思っていました。

 最後まで教会で日本人へのミニストリーを続けておられたので、宣教師としては幸いであったと思います。55年ほど前、宣教師一家が来日されたとき、ご夫妻と幼い子ども2人の4人家族でした。成人したマーク君が米国で交通事故で召され、昨年は奥様が召され、1年経って先生が召され、シーファー家はデビさんひとりになりました。天国は賑やかですが、遺された彼女はどんなにか寂しいしょう。神様の慰めを祈ります。

 今春、デビさんは、年老いたお父さんを連れて来日されました。老宣教師に人生の感謝を表すことができたことを感謝し、その機会を与えて下さったデビさんに心から「有り難う」と言いたいと思います。5月にオリーブ山教会の主日礼拝式で、感謝の証言をしました。ほどなく本ブログに掲載しましたが、ここに新たな感謝を込めて再掲載させていただきます。

                証  言

 私は、1967年(昭和41年)、高校2年生の時に、岩手県の水沢市(現奥州市)で、アメリカ人宣教師に導かれてイエス様を信じました。クリスチャンになって51年になります。

 先月4月5日、私をキリストに導いて下さったクリフォード・シーファー先生が娘のデビさんとともに来日なさいました。85歳になられ、昨年11月に生涯を共に労した夫人を天に送られました。娘さんが事前に送って下さった旅程を見て驚きました。2週間の滞在期間中、1日たりとも予定のない日はありません。自分が宣教したすべての地を訪ね、時には日に2度も集会で話すというのです。今も米国の教会で日本人伝道をしておられますが、改めて宣教師のスピリットを感じました。そして、それは「ベターハーフ以上の妻だった」と言われる、夫人を記念する旅でもあったはずです。

 1963年(昭和38年)、東京オリンピックの前年、ご夫妻と3歳の娘さん、1歳の息子さんの4人家族で貨物船に乗って日本に来られました。ガードレールもない甲板を、子供たちを紐で結わえて散歩なさったと聞きました。船の小さな窓から、初めて訪れる極東の港の灯を見て、畏れの思いにひざまずいて、「神様、私を通してひとりの日本人でも救われますように」と祈られたそうです。私はその祈りの果のひとつです。

 私は、献身者として自分でも予期しない道を歩んで来ました。若き日の宣教師との約束を果たしませんでしたし、恩義ある人たちの願いや期待にも沿えないで来ました。それはやむを得ないとしても、人としての当然の礼をも欠いて生きて来ました。今回はできるだけのことをして、人生の感謝をささげたいと願いました。僕としてお迎えすること、移動手段や経路、チケットの手配に関して、事前に自分の足で確かめながら、可能な限り準備をし、できるだけ寄り添って手足になりたいと願いました。

 空港のゲートを出て来た老師は係員に押されて車椅子でした。歩けないわけではなく、立つのも歩くのも気力なのです。できるだけのことではなく、「何でもしたい」という思いが、心にわき起こって来ました。相手が恩師であれば当然の思いでしょうが、私はもともと、自分から「何でもしたい」と思うことのない人間です。相撲にたとえて言えば、立ち上がると押されて自分から後退して、徳俵に足をかけて、そこで粘り強く踏ん張っているような人間です。それが自分のうちから「何でもしたい」という思いがわき起こって来ました。相手が恩師だとしても、それは不思議な喜びでした。身体は疲れても、心は疲れません。それは確かに惠泉塾の教えと生活で私に与えられた身体と心の慣しです。

 米国の東海岸からロスアンゼルスを経由する長旅でした。翌日午前には、東北新幹線で岩手に行かれます。夕刻着の便ですから、成田にホテルをとって、朝の成田エクスプレスで東京駅に出ることをすすめました。娘さんが米国でホテルを予約しました。私も同じホテルを予約しました。当日、四街道の家を出る前、私はホテルに電話をしました。その日は満室で私一人しか泊まれませんでした。家内も泊まれるようにキャンセルがないか、何度か問い合わせました。家を出るギリギリで空室が出て、家内の宿泊の予約もできました。到着した2人とともに、空港で必要な手配をすべて済ませ、食事をして、すべては前準備通りでした。あとはホテルのシャトルバスに乗って、チェックインを済ませて休むだけです。ホテルに着き、フロントで手続きを始めて、大変なことが分かりました。米国で予約した2人の部屋がキャンセルされているというのです。同じホテルを予約したという私の下手くそな英語のメールを、デビさんが同じホテルに泊まれるようにこちらで改めて手配し直したと理解して、米国で予約をキャンセルしてしまったのです。私はすぐに自分と家内の部屋の鍵を2人に渡しました。もし家を出るときに、家内の部屋をとれなかったら、長旅で疲れ切った2人を連れ回さなければなりませんでした。神様に感謝しました。宿屋には私たちのいるところはありませんでした。四街道に帰ることも考えて空港に戻りました。しかし、神様が最善をして下さいました。さほど遠くないところに宿が見つかりました。翌朝早く東京駅に案内するためにホテルを訪ねたとき、かえって心配をかけてしまった2人に私の口から出たのは、デビさんが日本で話すためにあらかじめ送ってくれた証しにあった言葉でした。彼女は辛い離婚を経験しています。水沢幼稚園で憶えたという日本語をローマ字にして、自分の心の傷みに関わって、彼女はこう書いていました。「Soredemo Kamisamawa watashio aishiteimasu。Kamisamawa watashitachi no mondai yori ooki desu。」私は心から「アーメン」と言いました。

 ハイライトは郷里での主の日のことでした。50年ぶりに聴く恩師のメッセージ、感謝にあふれた豊かな礼拝と交わりを終えて、宣教師家族が1965年に最初に住まわれ、初めの集会の場所でもあった家があった場所に行ってみました。もうどこかも分かりませんでした。その通りには後藤新平が生まれ育った旧い家が保存されていて、そこを見学することにしました。門を出るとき、私は道の反対側の雑草や木の枝に入口を塞がれた敷地に、「もしや」と思わせる家の屋根の突端を見つけました。枝を取り払って踏み行って、「シーファー先生、あったぁ!」と大声で叫びました。その廃屋は、確かにあの「村の小さき教会」でした。玄関はロックされていたので、裏にまわり朽ちた引き戸を開けて廃家の中に入りました。中は朽ちていましたが、台所もお風呂も、ご夫婦や子供たちの寝室として使われた部屋も、当時のままでした。デビさんは、20歳で交通事故で天に召された弟のマーク君と遊んだという押し入れや、掘りごたつのある居間が懐かしそうでした。私は最初に福音を聞いた集会があった部屋で感謝の祈りをささげました。それはただのノスタルジーではなく、残された地上の生涯に向けての、信仰と希望と愛の祈りでした。私たちにとって、本当の懐かしさは、過去にではなく未来にあります。

 半世紀が経ちました。神様の「選び」や「堅忍」という神学や教理の言葉があります。「選び」は、神様が主権をもって憐れもうとする者を選んで憐れまれるということ、「堅忍」は「堅く忍ぶ」と書いて、神様は一度本当に救いに招き入れた者を、決して捨てることはないということです。若い頃には、あちこちの聖書箇所を引いて議論をしました。しかし、今は、「私は、主の『選び』と『堅忍』の子です」と告白します。神様は、キリスト教とは何の関わりもなかったような私を——ただアメリカ人と知り合いになりたかった私を——憐れんで選び、きょうのこの日に至るまで、耐え忍んで導いて下さいました。ただできるだけのことをして下さっただけでなく、何でもして下さいました。私自身の命が主の「選び」と「堅忍」の証しです。主の愛(へセッド)の証しです。

 2人は日本での最後の夜を四街道で過ごして下さいました。私はレンタカーで最後の集会があった所沢に迎えに行きました。いつも上田での集会に通う行き慣れた道です。幸い出発は翌日の夕刻でした。私たちは沢山の話をしました。老師は「私はあなたが何をしているのか知りたい」と言われました。私は今の教会への思いや惠泉塾の話をしました。「初代教会のようだ」と言われました。一緒に高校生会のテーマソングを歌いました。「神を知っているなら、あなたはもう他の誰をも必要としない。真っ暗闇の中でもあなたを見る・・・」——老師は涙ぐんでいました。昔は英語で歌うのが嬉しかっただけの歌が、今は先生と心を重ねて、互いに慰め、励まし、語りかけるように歌うことができます。

 成田空港で別れるとき、先生は、車椅子から立ち上がり、私をしっかりと抱いて「息子みたい」と言われました。

 考えてみれば、私ども夫婦は、なぜ今、新しい心を与えられて四街道にいるのでしょう。今回の一切に関わって私が感謝しているのは、家内が心から喜んで、私がしたいことへの経済的な負担を惜しまなかったことです。水谷先生が仰るように、愛を行動に移すためにはお金が必要です。家にも車にもスペースが必要です。「マリア」は車椅子を貸して下さいました。私は結婚以来、家計のことは一切家内に任せて来ました。家内は最近、上田に遣わされた姉妹たちを通して、家計のことを一切神様に任せることを学んでいるようです。私ども夫婦に、何かまた新しいことが生まれつつあるのかもしれません。最後に御言葉をもって信仰を告白します。

 「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前を歩んだ神よ。今日のこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。」(創世記48:15、新改訳2017)
 
 「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追ってくるでしょう。私は、いつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6、新改訳2017)



        第17回「新スカルの井戸端会議」のご案内

期 日:12月22日(土)午前10時〜午後2時
場 所: 御茶ノ水クリスチャンセンター(OCCビル 4階416号室)
講 話:後藤敏夫(四街道惠泉塾)
   「我信ず、信なみ我を助け給え」ーひとりの父親の立場から
証 言:平野友紹(余市惠泉塾)

*基本的に申し込み制です。連絡先:090-8042-4044(新谷)

*心を病んだ息子との関係で惠泉塾に導かれた私の、ひとりの父親の立場からの、現時点での集大成のようなお話をさせていただくつもりでいます。講話と証言は午前で終わり、昼食の交わりを挟んで、午後は質疑応答等が行われます。おいでをお待ちしております。
スポンサーサイト

この頃、読んでいる本

 『百万人の福音』1月号が「信仰生活を彩る50冊」という特集で読書のすすめをしていて、そこに「本読み人に聞く」ということで、私へのインタビュー記事も掲載されています。聞き手になって下さった編集長が旧知の間柄で、長時間、いらないことまで勝手に喋くり散らかした言葉を、よくもまあいかにも内容がありそうにまとめて下さったたものだと、申し訳ないような気持ちで感謝しています。

 私は本には関心がありますが、他人が想うほど「本読み人」ではありません。高校時代までは、ほとんど読書というものをしませんでした。高校の図書館に誰でも見られるようなかたちで、生徒全員の貸し出しカードがあったのですが、何も書いてないと恥ずかしいので、読みもしない難しそうな本を借りて返したことにしていました。大学生時代に本に目覚めましたが、そんなこともあり、多くの人たちが青春時代に読むような本を読んでいません。

 今読んでいるのは、N.T.ライト『驚くべき希望』ー天国、復活、教会の使命を再考する(あめんどう)と、犬養光博『「筑豊」に出合い、イエスと出会う』(いのちのことば社)で、どちらも編集者からお送りいただきました。読書の時間はほとんどありませんから、カバンに入れて、病院の待合室などで読んでいますが、なかなか進まずどちらも途中です。

 『驚くべき希望』は、 N.T.ライトの本で最も売れたものだそうですが、決してすらすらは読めません。難しいと感じるのは、こちらの読む力のこともあるでしょうが、ライトが余りに自分たちが信じて来たこと、語っていることと違ったパラダイム(枠組)を提示しているからだと思います。『驚くべき希望』は、まさにそのところにおいて、さすがにライトという重要な内容であり、これを日本語にして下さった翻訳者と編集者のご労に感謝します。

 ライトについては、その贖罪論や義認論について、福音派から神学的な批判があります。個々の聖書解釈や神学的主張の隘路はともかく(それがどうでもいいというのではありません)、大きな流れとして、ライトが語っていることが主イエスの教えであり、聖書が語る福音であり、私たちはその福音を生きるように救われたのであるなら――私はライトの言う通りだと信じていますが――今福音派が語っている福音はどこかで大きく道を外していることになります(すべてにおいてということではなく、主イエスの王道において)。それはただ本を読んだとか読んでないで済まされる問題ではありません。それはただ神学校の教室やセミナー室で論じることではなく、私たち生き方、教会が存在する目的に関わることです。私はこの本がただ神学的正統性や正統教理をめぐる読書や議論(相手を正しく理解しないで、あるいは自分で読まないで誰かの言葉で語ることも含めて)に消費されないことを願っています。

 『「筑豊」に出合い、イエスと出会う』は、福音を信じて、「筑豊」の一隅でイエス様に従って生きて来られた牧師が、自分の心と身体に刻みつけられた本当のことだけを書いておられます。そして、そのことは、ただひとりの牧師の歩みの証言にとどまらず、キリスト教とかなにか(なんでないか)、福音とはなにか(なんでないか)、教会とはなにか(なんでないか)ということへの、深い問いかけとなって語りかけます。

 私は、福音派のまっただ中に育って、長い間、犬養牧師のような方々はリベラルで、聖書を信じる福音的な信仰はないと思って来ました。福音派キリスト者として、社会のことに関心を抱くようになって来てからは、犬養先生のような身体を張って現場に生きる方々からは、バカにされて普通に話せないようなひけめを感じて来ました。そんな私の心情は今もそんなに変わらないかもしれません。

 しかし、私は今、『「筑豊」に出合い、イエスと出会う』を、主にひざまずくような思いで読ませていただいています。この本の真中をイエス様が歩いておられます。この本がいのちのことば社から出されたことは——そこに編集者の歩みと祈りと思いがいっぱいにつまっているのを感じますが——そのこと自体、この時代に主が求めておられる、そして造っておられる聖霊の交わりの証しです。


        第17回「新スカルの井戸端会議」のご案内

期 日:12月22日(土)午前10時〜午後2時
場 所: 御茶ノ水クリスチャンセンター(OCCビル 4階416号室)
講 話:後藤敏夫(四街道惠泉塾)
   「我信ず、信なみ我を助け給え」ーひとりの父親の立場から
証 言:平野友紹(余市惠泉塾)

*基本的に申し込み制です。連絡先:090-8042-4044(新谷)

*心を病んだ息子との関係で惠泉塾に導かれた私の、ひとりの父親の立場からの、現時点での集大成のようなお話をさせていただくつもりでいます。講話と証言は午前で終わり、昼食の交わりを挟んで、午後は質疑応答等が行われます。おいでをお待ちしております。

「証 言」(2018年12月9日 オリーブ山教会主日礼拝式)

 新年が明けると2月で私は満70歳、結婚生活は40年になります。否が応でも地上の命の終わりを意識せざるを得ない年齢です。昔は買った本に日付を書き込んでいました。ついこのあいだ買ったように思う本が本棚にあります。手に取り購入年月日を見ると、10年以上も前であったりします。あっという間に過ぎ去ったその歳月を今の年齢に足して、残された「愛する時」は短いことを思います。主の裁きの前に出る時はそう遠くはありません。

 これから終わりの光に照らして、自分の今を見つめながら、主を証しする言葉にさせていただきたいと思います。

 私は今ここに立っておりますが、もしここにいなければ、どんな今を生きていたでしょうか。明日のことが分からない者の仮定です。おごった思いであることを恐れますので、ただ自分自身の人生設計のようなものとしてだけ申し上げます。おそらく牧師を招聘しにくい教会に住まいを与えられ、年金を頼りに牧会を続けながら、好きな読書をしたり、音楽を聴きながら、時折そちこちの教会や集会に招かれて説教をすることに、ささやかな使命や喜びを感じていたと思います。他者はいざ知らず、少なくとも私の場合、それは献身者としての自分の働きの生涯のまとめではあっても、自分がさらに主の前に新しく変わることにはつながらなかったと思います。

 私は、そして私ども夫婦は、教会の牧会のひとつの大きな時の終わりに——人間的に言えば私自身が行きづまった中で——水谷先生から愛のお招きをいただいて惠泉塾に導かれました。それは自分たちの計画にあったことではなく、考えもしなかった神様の秘められた計画への召しであり、主のご計画、お導きでした。私ども夫婦が、今ここに置かれているのは、自分の思いや計画によることではなく、主によることです。ということは、その過程で起きた、またそこで起きる、すべてのことには神様のご計画における意味と目的がある。主のご計画に用いられるために、私は、主の前に自分を偽わることなくまっすぐに立ちつつ、主の前に新しく変わる必要がある。 これは動かない信仰の原点です。と同時に、それは私にとって戦いであり課題であり続けます。

 教会の牧会におけることには触れませんが、私ども夫婦の生活において思いがけずに起こったことがあります。まず次男暁生の心の病があります。続いて家内が突然くも膜下出血で倒れました。くも膜下出血は、3分の1の人々は死に、命をとりとめても3分の1の人には重い障害が残り、残りの3分の1がほぼ障害もなく完治するそうです。感謝なことに家内は最後の3分の1でした。これといった障害もなく癒されました。しかし、神様は彼女の心身に弱さという棘を残されました。その燃えさしは今も彼女の心身にあり、日常生活に顕われます。私について言えば、うつ病とパニック障害になりました。教会から3ヶ月の休暇をいただき、2008年の夏を惠泉塾で過ごす中で癒されました。

 それは私がまだ惠泉塾と意識的に距離を置いていた時代のことでした。暁生に会い、水谷先生や塾の皆さんに挨拶とお礼をしたら、10日ほどでおいとまするつもりでした。惠泉塾で心が休まるとは思えなかったからです。その2008年夏の3ヶ月間は、私と惠泉塾あるいは水谷先生との関係、そして私と息子暁生との関係において、大きな転換の時でした。シャツ姿の私がロッジで暁生と顔を並べて昼寝している写真があります。まだ額の上に黒髪がある惚けたような寝顔です。写真を見ながら、神様の大切なお計らいの時であった、すべては神様のなさったことだったと、今しみじみ思います。その写真は今月22日の「新スカル」で公開する予定です。

 2011年、余市に移り住んだ1年目、家内が心に激しい変調を来しました。私は、結婚以来見たことがない彼女に向き合いました。別人のようなとは言いたくありません。それは確かに彼女でした。そして彼女もきっと、結婚以来見たことがないような仕方で私を見ていたと思います。私ども夫婦は、おろおろと歩幅を揃えて歩むことを学ばされました。戸惑い、精一杯、必死でしたが、根っこから揺り動かされることはなく、不思議に平安でした。塾生たちが苦しんでいるような、人にはどうにもできない弱さを自らの心身で知るためだったように思います。それは今も「知った」とは言いにくいことです。心の病について、親や本人が病に向き合うことの大切さを私たちは語ります。その通りに違いありません。しかし、それは容易いことではないと知りました。ふとしたことで家内の病名が明らかになるまで、私は長い間、愛する者の病を名指しで語ることができませんでした。ひたと向き合って現実を知るということは、相手を思いやるゆえの恐れやためらいもあって、人情ではかないません。真実を「知る」ということは、互いが向き合うのではなく、互いが神様に向き合って知ることであり、信仰と希望と愛によることだと知りました。そこには時とともに熟する「知る」(愛する)という心のプロセスがあります。すべてに時があります。

 そういう1つひとつの時は、余市惠泉塾滞在中の、夫婦間での腎臓移植手術につながりました。家内の腎臓の疾患は遺伝病によるものです。奇跡的な癒しによるか、移植手術をするのでなければ、すぐに人工透析を始めなければならない状態でした。あれこれ手術を妨げる成人病があった私の体は、惠泉塾生活でお医者さんも驚く手術に適する体になっていました。検査のとき、お医者さんが「いい腎臓だ」と言われました。手術は通常の移植手術よりも難しかったようです。私の7時間は普通ですが、家内は13時間かかりました。手術を終えて病室に横たわる私のところに、私の方の執刀医が説明に来ました。普通は2本の血管が私の腎臓には3本あって手間取っているということでした。後に血管人間として学界で発表されたそうです。お医者さんは「まずは5年間を目標にしています」と言われました。今年はその5年目です。感謝なことに、家内はかなりずぼらな移植患者であるにもかかわらず、月毎の検診でお医者さんに「まったく言うことはありません」と言われています。

 こうして振り返ってみて、今はっきり分かることがあります。私どもに起こった1つひとつのことはすべて、夫婦が足並みをそろえて、ひとつの務めに就け、というみこころによることでした。「キリストにあって異なる者が互いに愛し合ってひとつになる」という福音に生き、その福音を伝えるみこころです。それがなければ、私ども夫婦は、過去の牧会の労苦を共有しながらも、人生の晩秋から冬の季節をそれぞれの個人的な関心事に生きていたと思います。

 今、多くの務めが与えられています。四街道惠泉塾の塾頭として、S兄とI君と4人で暮らしています。小さな惠泉塾の生活には、時間的、空間的に、互いの関係において「ここまで」という職業的な境界線がありません。いろいろな朝があり、いろいろな昼があり、いろいろな夜があります。しかし、塾頭夫妻を含めて、私たちは、病や弱さがなければ、共に暮らしてはおりません。病や弱さがあればこそ、主にあって家族とされています。しかし、人の弱さは強さでもあります。霊的な意味でも、肉的な意味でもですね。小さな惠泉塾は、互いに愛することを学ぶ小学校であり、大学です。

 今年度からは、あちこち、あれこれの大切なご奉仕に加えて、オリーブ山教会の役員、2019年度は札幌キリスト召団の関東地区の責任役員を仰せつかりました。また今年は2011年に余市移り住んで以来初めて、水谷先生に相談をして、外部教会で御言葉の奉仕をしました。すべて7年前には考えなかったことです。務めの多いことは問題ではありません。それを主へのご奉仕として、祈りにおいて心身にひとつの実にしなければなりません。 

 献身者としての私の人生は晩秋を過ぎ冬に入りつつあります。この季節に神様からご自身の計画のためになすべき務めが与えられています。無力を覚えますが感謝なことです。遺される人たちのために愛の実を結んで生きたいと願っています。最後に内村鑑三の「寒中の木の芽」という詩を読み、御言葉によって証言を閉じます。



              『寒中の木の芽』

 春の枝に花あり 夏の枝に葉あり 秋の枝に果あり 冬の枝に慰あり

 花散りて後に 葉落ちて後に 果失せて後に 芽は枝に顕はる

 嗚呼 憂に沈むものよ 嗚呼 不幸をかこつものよ 嗚呼 冀望の失せしものよ 春陽の期近し

 春の枝に花あり 夏の枝に葉あり 秋の枝に果あり 冬の枝に慰あり

 「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないということを、あなたがたは知っているはずです。」(Ⅰコリント15:58)

        第17回「新スカルの井戸端会議」のご案内

期 日:12月22日(土)午前10時〜午後2時
場 所: 御茶ノ水クリスチャンセンター(OCCビル 4階416号室)
講 話:後藤敏夫(四街道惠泉塾)
   「我信ず、信なみ我を助け給え」ーひとりの父親の立場から
証 言:平野友紹(余市惠泉塾)

*基本的に申し込み制です。連絡先:090-8042-4044(新谷)

*心を病んだ息子との関係で惠泉塾に導かれた私の、ひとりの父親の立場からの、現時点での集大成のようなお話をさせていただくつもりでいます。講話と証言は午前で終わり、昼食の交わりを挟んで、午後は質疑応答等が行われます。おいでをお待ちしております。


士師記を読み終えて(それと、12月22日、OCCでの「新スカルの井戸端会議」で話します)

 四街道惠泉塾での朝のデボーションは、朝5時に始まります。士師記を読み終え、きょうからルツ記に入りました。

 ひとりで聖書通読をするのではなく、説教のために注解書を見ながら学ぶのでもなく、24時間暮らしを共にする病に苦しむ家族と、生活の中で日々御言葉に向き合います。賛美をして、家内が祈り、1章を輪読して、それぞれに教えられたことを分かち合い、私がコメントをします。コメントは、読まれた御言葉に示されいるみこころを思い巡らしながら(そこでは正しく読むということが求められます)、それをどう自分たちの今やきょうの現実において聴くかということになります。これは少人数のグループ聖書研究などとも違い、あまり教会や普通のクリスチャン生活では体験されない聖書の読み方で、小さな惠泉塾ならではの体験です。

 惠泉塾では、旧約聖書を1章ずつじっくり読む恵みにあずかっています(先日、『百万人の福音』の取材で、信仰書を読むことの大切さを話しましたが、そもそも教会で聖書が、とりわけ旧約聖書が美味しい御言葉のつまみ食いでなく、また勉強風にではなく読まれているかどうか、私は不安です)。

 私は、これまで幾つかの有名なエピソードを記憶してはいても、士師記を自分の信仰にあまり身近には感じられせんでした。「そのころ、イスラエルには王はなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(21:25)という、何度も繰り返され、最後に結論のように語られている御言葉に、暗黒の時代の嘆かわしい民の不信仰を感じて読んでいました。

 しかし、今回、士師記を読みながら、「それぞれ自分の目に正しいとすること」というのは、主に問うことなく、主の前に、それぞれに「正しい」と思って行っていたことに気づかされました。それは、今のキリスト教会の姿そのものではないでしょうか。

 士師記には「そのころ、イスラエルには王はなく」という言葉が繰り返されています。王制は神のみこころではありませんでしたが、許容されて確立した中では、油注がれた王の大切な役割がありました。新約聖書の万人祭司の時代においても、聖霊の自由な召しや賜物に関わって、教会には、王的奉仕者(監督)、預言者的奉仕者、祭司的奉仕者という役割や、尊重されるべき権威の所在があります。そして、何よりもイエス・キリストは、私たちの王であられます。今の時代、王的に振る舞いたい牧師はいるかもしれませんが、本当に十字架のイエス様は王として信じられているでしょうか。この時代もまた、「そのころ、神の民には王はなく」と言われる教会の現実があるではないでしょうか。

        第17回「新スカルの井戸端会議」のご案内

期 日:12月22日(土)午前10時〜午後2時
場 所: 御茶ノ水クリスチャンセンター(OCCビル 4階416号室)
講 話:後藤敏夫(四街道惠泉塾)
   「我信ず、信なみ我を助け給え」ーひとりの父親の立場から
証 言:平野友紹(余市惠泉塾)

*基本的に申し込み制です。連絡先:090-8042-4044(新谷)

*心を病んだ息子との関係で惠泉塾に導かれた私の、ひとりの父親の立場からの、現時点での集大成のようなお話をさせていただくつもりでいます。講話と証言は午前で終わり、昼食の交わりを挟んで、午後は質疑応答等が行われます。おいでをお待ちしております。


 

この頃・これから

 13日(火)〜16日(金)、長野県上田市に行って来ました。月例のご奉仕とは違い、今回は国際音楽村のコンサートホールを借りての、昼と夜の2回、菅野万利子さんのピアノコンサートに続き、上田の姉妹たちの証言があり、さらに昼も夜も私と水谷先生のそれぞれ40分の講話が続けてあるという盛り沢山の集会でした。しかも、昼は「すべてに時がある」(コヘレト3:1〜17)、夜は「空の鳥、野の花の生き方」(マタイ6:25〜34)と、同じ聖書箇所とテーマで先生と私が語るのです。私は「チーズ、タマゴ、ダブルバーガー」とか、「寿司、そば、天ぷら、カツ丼定食」と冗談を言ってましたが、どのような集会になるものか(そもそも聴衆に対してそんな不親切な集会が成り立つのか)皆目見当もつきませんでした。

 当日は上田でもめったにないという秋晴れで、会場の前庭の丘から見る上田の町や晩秋の山々のパノラマが実に見事でした。私の心に八木重吉の「素朴な琴」という詩が奏でられ、自分も素朴な琴のような貧しさで神様の恵みを歌おうと思わされました。

 どれだけの人が来て下さるか心配でした。上田にはたった3人の姉妹たちしかいません。会場は300人を収容できる音楽ホールです。春からの準備の期間に祈りの中で、ただ集会準備のことだけではなく、愛し合って生活することにおいて、主のお取り扱いを受けました。みこころを求める祈りの焦点が次第に定まり、当日には平安で軽やかな確信が皆の心と表情に感じられました。延べ人数80人以上(内召団関係者は20名ほど)が集いました。昼も夜もおいで下さった方々も多く、私どもが一度もお会いしたことのない方々がほとんどでした。どこから、どのようにと思わされました。

 菅野万利子さんは私の大好きなピアニストです。リストも、ショパンも、ゴスペルも映画音楽も、演奏する彼女はいつも清潔な空の器、素朴な琴です。上田の姉妹たちの証言も真実でした。私も精一杯語りました。水谷先生が全体をしめて下さり、福音の宣教とともに、「上田に惠泉塾を」をという呼びかけに確かな手応えを感じました。全体にひとつの霊が流れる時間を感じさせない集会であったとの感想に本当に感謝し、今は充足した思いでいます。

 四街道惠泉塾の兄弟は、病ゆえの不安と戦いながら、神様が思いがけない励ましの訪問を与えて下さり、よく留守を守ってくれました。通信の高校に通う若い家族も、2泊3日のスクーリングから無事帰って来ました。共同生活は、職業的な境界線がないので大変さはありますが、それゆえに無力な自分に神様の愛をいただくしかないことを学ばされます。というより、それを体験します。体験するしかありません。

 しばらくご無沙汰の畑は、サツマイモの収穫を終わらせなければなりません。これから収穫するタマネギやニンジン、キャベツや白菜、年を越すニンニクや空豆が植えられていますが、あとは草引きをして、鍬を入れ、お礼の肥料をあげて、土は来春までお休みです。

 私の次の集会奉仕は、12月22日(土)の「新スカルの井戸端会議」(10時 於・御茶ノ水クリスチャンセンター)です。このところシリーズでしている話を1度休み、「我信ず、信なき我を助け給え」ーひとりの父親の立場からーというテーマで、父親としての私と心を病んだ息子との関わりの現時点における集大成のような話をさせていただきます。今の私の歩みに深く関わることを学生時代にまで遡って話します。自分にとって大事な話になるように感じます。土曜日ですが、おいでいただければ幸いです。
プロフィール

百姓とんちゃん

Author:百姓とんちゃん
牧師生活を経て、北の大地の信仰共同体で農耕生活の見習いをして後、千葉県で四街道惠泉塾を営んでいます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR