『神の秘められた計画』出版記念会についての事務局からのご連絡

 7月31日(月)に都賀プラザビルで行われる拙書『神の秘められた計画 福音の再考ー途上での省察と証言』の出版記念会について(前回と前々回のブログ記事をご覧下さい)、事務局からのご報告があります。今回の会のお知らせは、すべてはこのブログと口コミで行っていますので、事務局からのお知らせをここに掲載させていただきます。

          出版記念会の昼食の手配について

 出版記念会への参加につきましては、会費等はいただきません。自由参加となっております。

 しかし、午前の部と午後の部の二部制のプログラムを予定しております都合から、昼食につきましては、事務局として、以下の通り、提案させていただきます。(昼休憩は、正味30分ほどで短いです。)

 集会場所の了解を得ておりますので、昼食の各自の持ち込みは自由とさせていただきますが、ゴミの分別等につきましては、集会場所に迷惑を掛けないように、指示にしたがっていただくことになります。

 ※1.「持ち込み」は、手作り弁当の他、都賀駅前周辺のスーパーやコンビニでの購入を含みます。ゴミはお持ち帰りください。集会場所のビルには、直営の中華(1階)と喫茶店(2階)がありますので、それぞれ、事前に、予約制(24日までに事務局にメールもしくは携帯電話で申し込み)で、受付させていただきます。

 ※2.直営店のランチは、それぞれ、1000円(ペットボトル付き)となります。

 ※3.中華弁当とサンドウィッチの二種類から事前注文を受けさせていただきます。
   
事務局の連絡先
佐藤史典
メールアドレス f-sato.1951@tbk.t-com.ne.jp 
メールの場合は、返信は、遅くとも翌日中までにします。
携帯番号   090-4956-3777
直ぐには出られないケースもありますので、留守電に用件を入れてください。確認の返電は必ずさせていただきます。

            事務局からのお願い

 本会は、自由参加となっておりますが、集会場所を、2階もしくは5階で、準備する都合上、既に、出席を決めておられる方は、申し訳ありませんが、事務局の上記連絡先まで、事前連絡(24日までに)をいただけないでしょうか。概算の出席人数の把握のために、ご協力いただければと思います。
よろしく、お願いいたします。


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【出版記念会のご案内】2 プログラムについてのお知らせ

 前回のブログ記事で、拙書『神の秘められた計画』福音の再考ー途上での省察と証言(いのちのことば社)の出版記念会のご案内をさせていただきました。期日、会場に関しては前回の記事をご覧下さい。
 
 今回は当日のプログラムについてお知らせいたします。午前の部でスピーチをして下さる方々が決まりました。宮村武夫先生(宇都宮キリスト集会牧師、名護チャペル協力宣教師、クリスチャントゥデイ編集長)、松元保羅先生(西荻南イエス・キリストの教会牧師)、吉川直美先生(シオンの群れ教会牧師)のお三方です。先輩、同年輩、そして新しい世代の女性の先生にお話しいただけることになりました。
 
 宮村先生は、長く牧会と神学教育に携わって来られた方で、優れた新約学者でもあられます(『著作』が刊行中で、現在1〜8巻まで出ています)。先生の言葉は——それが学問の言葉であっても——キリストへの信において、深く心に語りかけ、魂にしみます。私からはお願いできるような先生ではありませんが、友人の仲介でおいでいただけることになりました。
 
 松元保羅先生は、同時代を生きた同労者で(私はこの言葉を恩寵として重く受けとめています)、私を内側から理解して下さる方です。今回のスピーチは、私が無理にお願いしました。
 
 吉川直美先生は、『ひと言でいいのです』、『きぼうのたね、いのちの記憶』(いのちのことば社)といった著作でご存知の方もおられると思います。聖契神学校で神学生と共に生活しながら、キリスト教の霊性を教えておられます。そんなにお会いしたことはありませんが、是非にとお願いしました。
 
 昼食をはさんで、午後からは質疑応答と自由懇談をします。「鶏の3本目の足」(押田成人神父)について、あれこれ語るのではないような、福音を信じて生きるための語らいの場にしていただきたいと思います。
 
 司会、進行は三浦春壽先生(キリスト教朝顔教会牧師)がして下さいます。私にとっては、学生時代からの親しい友です。事務局を担当して下さっている佐藤史典兄も朝顔教会の学生会の仲間です。
 
 今回の出版記念会の目的は、この時代にキリストに忠誠を尽くして生きることを考え、そのために励まし合うことにあります。観念や理念の言葉のやり取りで終わる会にはしたくありません。幸いスピーチをして下さる先生方も、司会、進行をして下さる先生もその思いを分かち合って下さる方々です。
 
 私のわがままで会場を都賀にしていただきました。都賀にまで来ていただくには、都心からでも時間も交通費もかかるので申し訳ない気持ちです。自由参加で、仲間の会ではありません。少しでも思いのある方は、遠慮なさらずにぜひおいで下さい。いらしていただき、そして行ってよかった、と思えるような会にしたいと願っています。新しいお知らせがあれば、また改めてブログでご案内させていただきます。

【出版記念会のご案内】『神の秘められた計画』ー途上での省察と証言ー(いのちのことば社)

 友人たちの協力で、拙書の出版記念会が催されることになりました。まず概要をご報告いたします。

*期日/時間 : 2017年7月31日(月)午前10時30分〜午後3時

*会 場:ギャラリーオアシス
    〒264-0025 千葉県若葉区都賀3−24−8 ☎043-309-8353
(JR総武本線都賀駅下車、改札右階段を降りて徒歩5分。中国小麦粉料理店 惠泉2階)

*内 容:(午前の部)数名の方々の読書感想スピーチ、(午後の部)スピーチと出席者からの質問への著者の応答。

*自由参加で会費は無料。昼食は1階の小麦小料理店かギャラリーオアシスでも余市で焙煎したコーヒーや、余市のマナ ベーカリーの美味しい天然酵母のパンを召し上がっていただけます。

*事務局(問い合わせ先):佐藤史典 f-sato.1951@tbk.t-com.ne.jp(照会等はメールでお願いします。返信は、遅く とも翌日中までにします)

 講演を基としたブックレットのような本の出版記念会をしていただくことは、少々気恥ずかしい思いもしますが、自省しつつ福音派の仲間たちに問いかけている本ですので、批判も含めてどのように受けとめていただいているか、正直なところ気にもなります。生活共同体に生きる私の一部である、仲間が働き交わる都賀ビルのワンフロアが、この時代を歩むクリスチャンたちが立ち止まって話す歩行者天国、スクランブル交差点になれば嬉しいです。
 
 会場を不便な都賀にして恐縮ですが、生活共同体の交わりの中で書かれた本ですから、どこかの便利な集会室ではなく、生活の空気の中で会をしたいと願いました。関心のある方は、どなたでもおいで下さい。

*惠泉塾について知っていただく、一般の方々をも対象とした「スカルの井戸端会議」という集会が、お茶の水(水道橋)のYMCA青少年センターで再開することになりました(午前10時から昼食を挟んで午後3時頃まで)。8月11日(金)〈山の日〉が第1回で水谷幹夫先生が「神の秘められた計画」ー聖書の世界観・価値観・歴史観ーというテーマで話されます。9月23日(土)〈秋分の日〉は、『しあわせな看取り』ー果樹園の丘の訪問看護ステーションからー(いのちのことば社)の著者、岸本みくにさんと私が出版記念会というかたちで、生活共同体に生きる歩みの証言に絡めて自著について語ります。岸本さんは、敬愛する仲間であり、私は、一人でも多くの方々にクリスチャンとしての彼女の歩みの証言と、看取りについてのお話を聞いて欲しいと願っています。私にとっては、2011年に牧師を辞して余市に移住して以来ーーごくわずかな機会や上記の出版記念会を除けばーーほぼ初めて召団/惠泉塾以外の方々に向かってお話しすることになります。おいでいただければ幸いです。

生活の中の解釈学:草引きをめぐって

 ある書物の中で言葉や文章が持つ意味は、その言葉や文章が置かれた文脈(コンテキスト)において定められます。文脈は、最も近く言えば、その言葉を含む文章であり、その文章が置かれた前後の叙述です。さらにはもっと大きなまとまりの単位やその書物全体、そしてその書物が生み出された大きな物語(聖書で言えば、旧約から新約——天地創造から新天新地の創造——へと続く神の物語)も重要な文脈です。またさらに、神の物語に関わって観られる、著者が生きる人間の歴史(ある特定の時代と社会と、もっと小さな具体的な生活の場)という文脈もあります。それらに重なって、「主」という歴史に超越し内在するお方に挑まれるように捕えられている時代の子としての著者と、その著者が属する共同体の心身も、重要な文脈を構成しています。
 
 そのようなテキストを読む私(たち)も、まったく違う時代と社会と場において(ただ背景としてではありません)——自覚するしないに関わらず、あるいは自覚の仕方に偏りを持ちながら——今ここでの文脈を踏まえてテキストに向き合っています。聖書を解釈するということは、その2つの地平の対話であり、信じて生きるための心身の取っ組み合いです(書かれたテキスト自体がその2つの地平を内包します)。
 
 聖書は、歴史の時代と社会の現実の中で、人間の言葉で書かれた文書ですから、その意味ではクリスチャンでなければ理解できないということはありません。しかし、著者が「主」というお方に挑まれるように捕えられて語っているとすれば、そのメッセージを聴き取り、生きるために——すなわち、自分の心身で信じて生きるという解釈のために——私たちは聖霊を必要としています。
 
 なんとも大仰な書き出しになりましたが、言葉の意味は文脈において定められるということについて、もっと身近なことを書きたかったのです。たとえば、コーヒーを飲んで「これは毒だ」と言ったとすれば、「苦すぎて飲めない」という意味か、あるいは「うますぎて止められなくなる」という意味かもしれません。それを決めるには、前後の文脈が伝えようとしていること、その場の空気、話者や登場人物の息づかいや表情を読み取る必要があります。 文字通りではないとは言い切れず、その人にとっては医学的にコーヒーが毒である場合もあり得ます。
 
 イエス様は、「兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡される」(マタイ5:22)と言われましたが、「ばか」という言葉も文脈によって意味合いが異なります(私は日本語のことを考えていますが)。イエス様が戒められたのは、人を卑しめ蔑んで言う場合です。しかし、語調の強い「ばか!」が愛情を表現する戒めや訓しである場合もあります。おいちゃんが寅さんを「ばかだなぁ」と言う嘆息には、あきれながらも、温かな愛情を感じます。女性が男性に甘えて語りかける場合もあるでしょう。
 
 今朝、ラジオ体操でお隣の畑の方と言葉を交わしたのですが、「畑が広いと草取りが大変でしょう」と仰いました。いつもお世話になっている方で、私たちの畑を紹介して下さった方でもあります。私は咄嗟に「きょう行くつもりです」と応えました。その方の言葉を、「畑に草が伸びてますよ」と受けとめたのです(ごめんなさい)。そう受けとめる理由はまったく私の方にあり、草取りがよくできてなくて周りの方々にご迷惑になっているのでは、という思いがあり、またそう考えがちなのは私の性向でもあります。でも、その方は、先週の土曜日に草取りをする様子を見て下さったのでした。きっと、そのことからお声をかけて下さったのです。言葉をめぐるこの種のことは、教会でもよくあることですが、大切なのはどちらにしても畑の草取りをすることです。それが解釈が向かうべき実践的な方向です。
 
 因みに、「草引き」「草刈り」「草取り」といった言い方があります。私のイメージでは、「草引き」は手で根っこから引き抜くこと、「草刈り」は鎌や仮払い機等で刈り取ること(時には根っこごと)、「草取り」は両者を含んだ総称といった感じですが、言うまでもなく、普段人はそのように厳密に意味を区別して使っていません。言葉はいつも語源的な意味を含んで使われているわけではなく、慣用表現であっても時代や地域によってもその含意は違うことがあります。
 
 そんなこんな生活の中での解釈学を書きながら思うのは、私たちが聖書に息づいている言葉を受けとめるために、私たちは身体を共に生きる生活という地につけて、地をわたる風の中で「遠いまなざし」(押田成人)を持つ必要があるということです。今こうしてPCを見つめる眼は、情報は限りなく豊かであっても、人と関わる視野は非常に狭く、愛する煩わしさを厭う近視眼的な「私」の世界であり、動いているのは頭の先だけだからです。繰り返し自分に戒めるのは、大切なのはきょうなすべき畑の草取りをすること、それが解釈の向かうべき方向だということです。

百姓とんちゃん近況

 閑静な住宅地の一軒、「マリア訪問看護ステーション」のサテライトを兼ねた私たちの共同生活の家、四街道惠泉塾から徒歩10分ほどの場所に、4月から借りて耕し始めた畑があります。50坪ぐらいの広さです。
 
 いつかも書きましたが、余市で5年間、お百姓さんの真似事をしていたとはいえ、リーダーの指示に従っていただけですから、総合的な見地から、何を、いつ、どのようにするのかは、ほとんど身についていないことに気づきました。それでも農具の扱いや、畝の作り方ぐらいはおぼえたので、ホームセンターや道の駅のような所で、道具や苗や種を買っては植え付けました。いただいた苗や種もあります。
 
 最初の収穫は小松菜でしたが、少し食べただけで、数日の旅行から帰ると、ほぼ青虫の餌になっていました。今植えられているのは、まず順調に成長しているジャガイモ(芽かき、追肥、土寄せ完了)、ナス、ピーマン、キュウリ、インゲン、トマト、ズッキーニ、カボチャ、スイカ、枝豆、トウモロコシ、サツマイモ、ネギ、エゴマ、オカヒジキ、落花生(千葉半立と大まさり)、ハヤトウリ、生姜、里芋等々です。
 
 今食べられるのは、ナス、ピーマン、キュウリ、ズッキーニ、エゴマ、オカヒジキあたりでしょうか。枝豆もほぼいいようです。ジャガイモは植えつけが少し遅かったので、もう少しでしょう。草刈りや水やり等の作業はしなくても、ちょこちょこ寄っては収穫します。キュウリはまだ小さいなと思っていても、数日目を離すとお化けキュウリになります。収穫は楽しみですし、とにかく美味しいですね。ピーマンなども、とうがらしの仲間だと分かる味わいです。昨夜は夕方に収穫したオカヒジキをマヨネーズで和えていただきました。何とも言えないシャキシャキした歯ごたえでした。無農薬の野菜を穫りたてでいただけるのは、今日最高の贅沢かもしれません。今は昨夜作ったエゴマの葉の韓国風の醤油漬けが楽しみです。
 
 四街道惠泉塾の畑は、とにかく土がいいのです。私たちの前の借り主が、何年もかかってふわふわの土にしたのですが、ご高齢でもうできないのでゆずって下さいました。本当に有り難いことです。
 
 月曜日は、千葉県誉田の仲間の姉妹の畑で、貴重な男手として1日働きます。今一緒に暮らしているS君は職業訓練と学びで忙しく、私ども夫婦もこちらに来たばかりの頃よりも少しは忙しくなったので、四街道の畑は定期的な作業時間があるわけではなく、時間を見つけてというところが、この頃の百姓とんちゃんです。さて、これから家内とちょっと行って見て来ます。何か食べごろのものがあるでしょうか。
プロフィール

百姓とんちゃん

Author:百姓とんちゃん
牧師生活を経て、北の大地の信仰共同体で農耕生活の見習いをして後、千葉県で四街道惠泉塾を営んでいます。

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