【ご案内】「新スカルの井戸端会議」第4回 11月23日(木・祝)於・YMCAアジア青少年センター

 毎月行われている「新スカルの井戸端会議」も第4回目を迎えます。だいぶ時が迫っていますがご案内させていただきます。今回のテーマは、ずばりオヤジの生き方です。講話者の藤沢一さんは、茨城県でご夫妻で古賀惠泉塾を営んでおられますが、私ども夫婦とは余市で一緒に生活しました。その頃から、深い心の病の姉妹と共に、文字通り寝食を共にして、24時間を共に生きる生活をして来られました。「我が家が生まれ変わった!——信頼の力が働くとき」という主題で話して下さいますが、愛の労苦からとつとつと語られる言葉は、日々の心と生活そのままで、ある意味では最も誠実に惠泉塾を伝えてくれるでしょう。

 証言をされる中農勝見兄は、私も身近に知るバリバリの証券マンです。「お父さんを激変させた惠泉塾の魅力!」というお話は、心を病んだ息子さんとの関わりでオヤジがどうであったか、虚飾のない証言が心を打ちます。主の奇跡的な介入には本当に驚かせられます。ぶっちゃけたところで、自分の生き方を問われる証言になると思います。

 当日は私もオヤジのひとりとして司会を担当させていただくことになっています。会場でお会いできることを楽しみにしております。12月23日(土)は惠泉塾で聖書をどう読んでいるかについて、私が講話をさせていただくことになっています。ご多用な時期でしょうが、ご予定に覚えていただけれれば幸いです。

 期日や会場等について、下に記します(基本的に申し込み制になっています)。

 期 日:2017年11月23日(木・祝日)10:00〜14:00
 会 場:在日本韓国YMCAアジア青少年センター
     TEL. 03-3233-0611 東京都千代田区猿楽町2-5-5(JR水道橋駅から徒
     歩約5分、JR御茶ノ水駅から徒歩約8分、地下鉄神保町駅から徒歩約7分)
 申し込み:我孫子惠泉塾(TEL.04-7188-6833 FAX. 03-6800-5996、携帯
      090-8042-4044〈新谷〉、E-mail ibasho@me.com)

*お手数ですが、当日までに申し込みをよろしくお願いいたします。

 

 

 
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【ご案内】水谷幹夫先生の講演会(11月17日 於:自由学園明日館)

 水谷幹夫先生が下記のように東京で講演会をなさいます。惠泉塾がキリスト教界に知られるようになったきっかけは、1996年に北の大地に始まった生命の胎動が、雑誌『百万人の福音』に取り上げられたこと、そして何よりも2002年に『壊れた私 元気になった』(いのちのことば社)が出版され、多くの人に読まれたことによります。今年10月、『壊れた私 元気になった』の新版が文泉書院から出版され、今回の講演会はその記念会です。

 私には、かつて上野で行われていたスカルの井戸端会議のように、水谷先生に都心で、どなたでもおいでになれるような集会で、この時代に向けて語って欲しいという願いが強くあります。オリーブ山教会の伝道集会というようなかたちで、そういう機会がないわけではありませんが、もう少し公共性の強い場で、先生の声をこの時代に届けたいと願って来ました。そういう意味では、このたびの出版記念会は貴重な機会です。質疑応答の時間も設けられています。3人の姉妹が惠泉塾生活の証言をします。音楽を演奏する2人の姉妹(ヴィオラとピアノ)も、北海道で共に歩む仲間です。その日、私は長野県上田市でのご奉仕があるために出席できません。とても残念ですが、ぜひお出かけ下さいますように、ご案内させていただきます。

期 日:2017年11月17日(金) 開場 11:00 開演 12:00 終了 15:00 【入場無料】
会 場:自由学園明日館(重要文化財)東京都豊島区西池袋 2-31-3 TEL 03-3971-7535
(JR 池袋駅 メトロポリタン口から徒歩5分、JR 目白駅から徒歩7分)
連絡先:惠泉塾友の会 TEL 043-235-3815 FAX 043-309-4003

朝デボノート「流れのほとりに植えられた木」のように

 四街道惠泉塾の朝のデボーションで長く聴いて来た水谷先生の詩編の講話が昨日で終わりました。先生が詩編の講話を始められたのは1999年2月、「ハレルヤ」という題をもって、全150編を終えられたのが2006年11月ですから、その間ほぼ8年近くかかったことになります。私どもは、その録音を今年の1月末から約9ヶ月で聴き終えたことになります。きょうは最後に、もう一度、詩編全体の序詩とも言うべき1篇に戻って、神の言葉に耳を傾けました。初めて聴く思いがしました。

 こうして詩編全篇の御言葉を読み解き、それを聴くという機会は——無教会の良き伝統もあるでしょうが——惠泉塾ならではの恵みです。教会の主日礼拝式の講壇において、8年近くも詩編が語り続けられることは、私には考えられません。1節もおろそかにしないわけですから、講話が70分を越えるのは普通ですが、少しも飽きさせません。それは生活の現実に即して言葉を読み解く力(説くではなく)と、何よりもそこに流れる霊的な気息のゆえでしょう。生活共同体においてそれに耳を傾け続ける信徒の存在もあります。同じように読み解かれるイザヤ書やエレミヤ書の全体も朝デボで聴きました。

 この時代に神の言葉を聴く姿勢において、このこと、とりわけ旧約聖書の全体に向き合うことはとても大切だと私は思います。昔は50分ぐらいの説教は普通でしたが、今、教会の説教はできるだけ短いことが好まれます。15分から20分という教会も少なからずあるようです(テレビでコマーシャルが入るまでの時間がちょうどいいと聞いたことがあります)。アメリカのメガチャーチに見られるシアタースタイルの礼拝で、ワーシップリーダーとクワイアが賛美をリフレインして心を開き、心を高揚させたところで、メッセンジャーが元気が出る栄養ドリンクのようにぐいと飲みほせるテイストの説教をするということが流行です(皮肉が過ぎたらお赦し下さい)。
 
 説教の長短の是非を言いたいのではありません。体力や集中力に関わって長い話は辛いということはありますし、現代の生活スタイルということもあります。教会暦を大切にする教会においては、聖書朗読やリタジー(儀式)においても、旧新約聖書を貫く物語に向き合えるようにサイクルが定められていますから——ここでもどこでも、そして誰にも言えるように、それが活ける神の言葉に触れることになるかは別として——短い話でも全体の中にあります。ただ私が自分自身の課題として思うのは、神の言葉が神の言葉として語られているか(これはただ正しい釈義や正統的神学の課題ではありません)、神の言葉が神の言葉として聴かれているか(これは私たちの礼拝が教会堂を離れた生活をも含んだ霊的な礼拝になり得ているかという課題です)ということです。

 私たちが「風が吹き飛ばす籾殻」(詩1:4)のようではなく、この荒野のような時代に、「流れのほとりに植えられた木」(1:3)のように、「実を結ぶ」(1:3)、「幸い」(1:1)な生き方をするためには、神の民が旧約聖書を、つまみ食いではなく、繰り返し読み通し(それ以前に聖書を読むことかもしれませんが)、「その教えを口づさむ」(1:2)ことが大切であることを痛感させられています。

 

のこぎりをひくイエス:ナザレの霊性について

 ナウエンがどこかで語っていたように思いますし、私自身もかつて書いた気がすることですが、主イエス様の地上のご生涯について考えさせられることに、神の国の説教をしていた時間よりも、のこぎりをひいていた時間の方がはるかに長かったということがあります。

 主イエス様の33年の地上のご生涯の、最初の30年間は私たちの眼にほぼ隠されています。福音書記者が何も知らなかったとは思えませんし(マリアや主の兄弟たちから直接聞く機会もあったと思われますが)、どの福音書も、まったく関心がないように、私たちの好奇心を惹くようなナザレでの生活には沈黙しています。

 イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架で死ぬために、人として天からおいでになった神の御子です(拙書『神の秘められた計画』の中で、私は「刑罰代受説」が陥りがちな信仰と生き方の誤りを正すために、「勝利者イエス」という古典的贖罪論を前面に押し出しましたが、それによって罪のない御子の十字架における「刑罰代受」という最高の恵みをないがしろにしたわけではありません。そんなことはあり得ません)。その神の御子が、ナザレという人口数百人(多くみても400人程と言われます)の田舎の寒村で、大工の子として育たれました。成人してからも長い間、ほぼ30歳まで、のこぎりをひいておられたのです。

 のこぎりをひくというのには象徴的な意味合いもあり、聖書が「大工」(テクトーン)と言うのは、私たちが「大工さん」と言うのとは少し違ったところもあるようです。鍬や鋤や家畜のくびきのような金属を使った農具を作ったり、船大工や石工のようなことも手がけたようです。それはギリシャ・ローマ社会では蔑まれた職業だったと言われます。

 イエス様は、汗を流して働き、人間の地上での日々の労苦を知り、肉体の飢えや渇きをお知りになりました。罪のない神の御子が、働きながら、罪人である両親や家庭に仕えられました。しかし、まったく聖なるそのお方の姿は、宗教的に光り輝くような特別な聖人のようではなかったようです。ナザレの人々は「この者は大工ではないか。母親も兄弟もみんな私たちのところに住んでいるではないか」と言っています。イエス様と父なる神様との深い交わりは、ある意味では家族にさえ隠されていたように思えます。本当に不思議なことです。

 イエス様が言われた「天に宝を積む」生き方は、教会のために時間や財を献げることにだけあるのではなく、誰にも知られず汗を流している仕事、家族を養うためにのこぎりをひく生活のただ中に、家庭の主婦であれば、家族や人々に仕える繰り返しのような毎日の生活の中で、何を、どなたを見つめて生きるか、ということの中にあるように思います。

 やがてイエス様は、神の国の宣教のためにナザレを出て、十字架への道を歩み始められます。私は牧師としての生活を離れて、北の大地に自分を種子のように埋めようと、お百姓さん見習いとしてそこで5年を過ごしましたが、それでも主の召命は変わることなく心にありました。私が埋めた種子は自らに死んで発芽したでしょうか。焼き焦げて切断された根株に、ひこばえは生えているでしょうか。私は「神の秘められた計画」の宣教のために余市から新しく召し出されました。四街道に移り住んで1年9ヶ月、今自分の前に新しい神様への奉仕の道が開かれつつあることを、畏れの中で感じています。それはいよいよ自分に死ぬ十字架の道でなければなりません。

第1回「都賀フォーラム」を開催しました。

 昨日、10月31日の宗教改革記念日の午後、都賀ビル2階のギャラリーオアシスで、「都賀フォーラム」という呼び名で、初めての読書会を行いました。テキストは、拙書『神の秘められた計画』ー福音の再考 途上での省察と証言ー(いのちのことば社)です。

 参加者は、私ども夫婦を交えて13名(召団の仲間、いつもおいで下さる兄弟姉妹、初めてお目にかかる5名の方々)、藤掛絢子さんのヨーロッパの風景を描いた作品が展示されている会場を借り切って、木工所「ノア」の大小のテーブルを心地よく並べて座り、余市で焙煎された極上のコーヒーをいただきながら——参加できなかったS兄が送ってくれた色とりどりのチョコレートもつまみながら——拙書の読書会にはもったいないような雰囲気の中で会は進められました。

 第1回ということもあり、ご挨拶の後で「都賀フォーラム」の趣旨を短い証しを交えてお話ししたり、これからのこと——拙書『終末を生きる神の民』、ヘンリ・ナーウェン『イエスの御名で』、井上良雄『神の国の証人 ブルームハルト父子』のような本も取り上げたいといようなこと——も申し上げました。それから宗教改革記念日に因んで、マルティン・ルター作詞・作曲の「神はわがやぐら」(讃美歌267番)を歌いました。この讃美歌が、ナチスドイツにおいて、原曲を4拍子の行進曲風に編曲され、ドイツ的キリスト者の士気を鼓舞するために、軍靴の音を響かせて勇ましく歌われたこと(徳善義和著『マルチン・ルター』岩波新書、145頁)や、今はカトリック教会の讃美歌集にも収められ、ミサでも歌われることがあるらしいというエピソードも含めて(讃美歌は、ただ元気よく、あるいは気持ちよく歌えばいいのではなく、歌詞のもつ信仰告白的意味をよく考え、味わって歌われるべきです)。

 『神の秘められた計画』が出版された裏話のようなことを少しお話しして、本の内容に入りました。あらかじめ読んでなくても参加できるように、私が本文を読んで、著者の説明を加えて行くようにしました。第1回は、前置きもありましたから、「序に代えてー私の立ち位置についてー」の部分だけをと決めていましたが、それでも終わるには省略をしなければなりませんでした。そこにおいでの方にはどうでもいいようなことについても——質問されたら答えればいいようなことまで——少しおしゃべりをしすぎてしまいました。次回からは、これだけは伝えたいということにポイントをしぼって、分かりやすく語ることを心がけなければなりません。容易いことではないと思いますが、課題をいただきました。

 最後は、参加者にお一人ずつ自己紹介と、そこにおいでになったいきさつをお話しいただきました。それぞれに興味深い、また不思議な出会いを感じさせるお話でした。おいで下さった方で、このブログをお読み下さる方がおられれば、どうか懲りずにまたおいで下さい。また、今回はおいでになれなかった方も、どうか次回には足をお運び下さい。特に願いはあっても気後れしてしまう方に、心から歓迎させていただきます、と申し上げたいと思います。

 次回は2018年1月30日(火)午後1時からの予定で、『神の秘められた計画』のⅠ部を取り上げます。近くなりましたら、またこのブログでご案内をさせていただきます。

 
プロフィール

百姓とんちゃん

Author:百姓とんちゃん
牧師生活を経て、北の大地の信仰共同体で農耕生活の見習いをして後、千葉県で四街道惠泉塾を営んでいます。

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